椎間板ヘルニアの二回目の悪化で増えた様々な生活障害
椎間板ヘルニアの二回目の悪化で一気に色々な事に支障が出始めました。一回目の痛みでも行動に制限はあったのですが、二回目の悪化はケタを超え始めました。
寝返り・寝起きが困難になる
前回の悪化からもあった寝返りが困難になった上に、寝てから起きあがるのが非常に困難になりました。。
寝てから起きあがるのがこんなに困難だとは健康な頃には思いもしませんでした、うつぶせの状態から起きあがるにも、仰向けの状態から起き上がるのにも激痛で上半身を上げることが出来ず、しかも寝起きということもあり痛みがフレッシュなため朝からもがいていたのを覚えています。
自分的には横に寝た状態から腕の力を使いジワリジワリと上げるのが一番無難でした。おそらく椎間板の飛び出た方向で人それぞれ痛みの方向が違うでしょうから、自分の起きあがり方を探すしかないのでしょう。
靴を履けなくなる。
次に靴を履くのが非常に困難になりました。靴を履くのは立ったままでもどうにか履けるのですが、紐を結んだり微妙な履きズレを直したりはとても困難になったのです。この頃からもっぱら履き物はスリッパタイプのものになりました。TPOなんてのは基本的に度外視です!TPOなんて言ってられないレベルになりました。
コンビニなどの駐車場が『体が不自由な人用』に。
椎間板ヘルニアで激痛があっても、仕事や生活はしていかなければいけません。移動はもっぱら車だったのですが、車の乗り降りがとにかく困難でドアを目一杯開けないといけない状況になりました。コンビニなどは『体が不自由な人用』を使うようになりました。使うようになってあのスペースのありがたみをヒシヒシと感じたものでした。
コンビニは一周が限界
車から降りてコンビニに入って、右下肢の激痛がピークに達して立っていられなくなるのにかかる時間は約3分でした。ですので、せいぜい必要なものの場所に向かってレジに並ぶ一周が限界でした。レジがとても並んでる時はあきらめることも多々ありました。
人がドアを開けて待っててくれる。
さすが『おもてなし』の国、日本です。『あっ、この人は体が不自由な人なんだな』とドアを開けて待っててくれました。
そうなのです、他人から見れが完全に不自由な人になっていたのです。体は腰辺りから横に歪んで、右下肢を引きずりながら歩き、さらに歩くスピードも極端に遅い。。この時に初めて軽く絶望感を味わいました。
この先の人生、自分の腰は歪んだままなのかと。。激痛は消えることはないのかと。。
人は、不自由になってから初めて健康のありがたみを感じるものですね。割と早いうちに(当時:32歳)経験できたのは、今では良かったのかと思います。